最近、写真を撮ることがまた楽しくなって来て、ちょっとしたことでも写真を撮るようになってきてる。
なんか懐かしい気分。あぁこんな感じで写真撮ってたな。
そしてそうなればなるほど友人である大介のことを思い浮かべることもなんとなく増えて来て、やっぱり夏は彼のことを思い出す。
なんか今日は色々な偶然が重なり、年に1回あるかないという感傷的な夜だから、ちょっと思いつくままに書いてみようと思う。
大学の同期で同じサークルということもあり仲の良かった彼はグループの中心にいるような人物で、シニカルな部分もありつつ、愛嬌もあり、人たらしでもあり、酒が好きで、人と人を繋げるのがすごく上手な人だった。
(対照的に自分が端にいたとかそんな話ではないwむしろ自分はサークルの会長で、彼もまた別のサークルの会長だったりしたw)
多趣味でその中のいくつかは共通のものもあり、他の友人などとも盛り上がったり、朝までボーリングしたり、夜中に車で山の天辺まで行ったりと、Theキャンパスライフというような時間を共にした。
ここまで書くと親友みたいな関係かなと思う人もいるかもしれないが、大学時代の大介と自分の関係はたぶん「親友」ではなく「友人」だった。当時の大介にとっては俺よりも仲の良かった人がいたし、俺にとってもそうだった。もちろん、青春時代と言っても差し支えない濃い時期を毎日のように一緒に過ごしたメンバーの中の一人やからただの友人ではなく、特別な友人ではあると思う。
そんな大介はまぁいわゆるお金持ちで、大学生活で既に車は持っていたし、一人暮らしする必要がないのに一人暮らししていた(なんか一人暮らしをする理由を言っていたが忘れた)。
そして彼は当時既に一眼を持っていて、いつもよく撮っていたのを覚えている。写真だけじゃなく動画もよく撮っていて、CMパロディーや短編映画?みたいなものも撮っていたりして、その際にはあの長澤まさみのMVのレトロな雰囲気が好きだからそんな感じで、と何回もそのMVを見てよく話していた。
当時の自分は写真を撮るのは好きだったが、一眼なんてもちろん持っていなかったし、だから彼と写真談義に花を咲かすことなど一度もなかったし、編集のへの字も知らないし、撮った写真もmixiの日記の添え物にするくらいにしか思ってなかった。
でも留学生と交流サークルをやっていたため、写真が思い出の大事なアイテムになること、それが撮った写真が誰かに喜ばれるものになる経験を積んでいくうちに、写真が好きになっていった。
そして休学中に留学した韓国で初めて買ったOLYMPUSのミラーレス、EPL-2でどっぷり写真にハマることになるが、それは前の記事で書いてあるのでそっち読んでください。
で、何の気なしに大介にミラーレスを買ったことを報告したことで、今までなかった大きな繋がりができた。
ちなみに留学を終え帰国したのと入れ替えで彼は大学を卒業して台湾に移住し、ずっとそっちで住むことになったので、ここからは割と国境を跨いでいることを前提に読んでほしい。
そんなこんなな状況なので、オンライン(LINEだったかSKYPEだったか忘れたが)で時たましか話さなかったが、それでもその時には「最近こういう写真を撮った」とお互い最近撮った写真やお気に入りの写真を見せたりする時間ができた。
大学生活の時の思い出話や近況の話など、それはそれで楽しいのだが、なんだか写真の話をしているときが特に楽しかったのを覚えてる。
数年はそんな生活が続き、彼が一時帰国した際や俺が台湾に遊びに行った時などはよく一緒に写真を撮った。
そして社会人になりさらに数年経った頃にそろそろRAWデビューしたいということでα7Ⅲを買った。彼はFUJIFILM愛用者で、俺がSONY機を買ったことにはいささか不満そうだったが、今思えば、ええかっこしいの彼がFUJIFILMを選んでいたのは、納得しかない。
そして彼との共通点はカメラだけではなく、職業もそうだった。
彼は大学生の頃から日本語教師を目指し、実際に台湾で日本語教師として働いていた。
自分の学校を作る!と本気で考えて計画まで立てていた。
自分も今は日本語教師ではあるが、この仕事を選んだことに彼の影響は大きいと思う。
彼みたいになりたいとか友達がやってるから俺もやってみようとかそういうのではないが、30歳手前の時期で収入が不安定な日本語教師でやっていけるかどうか不安になっているときに、「同じ道の先に彼がいてくれるなら」と飛び込む勇気をもらったのは確かだった。
それからはカメラに加えて日本語教師という共通項ができ、二人で話す機会も大学生活の頃より圧倒的に増えていった。
しかしコロナが流行り始めた2020年のゴールデンウィークの時期、大介に癌が見つかり既にステージ4だった。
すぐに台湾から帰国し療養生活を始めてたが、その年の12月に彼は先にあっちに行ってしまった。
あっという間だった。
出身地の奈良に戻ったので、距離的には会おうと思えばいつでも会えたのだが、当時コロナがどういう病気かよくわからない上に相手は癌患者ということもあり、そんなに頻繁に会いにも行けず、2,3ヶ月に1回、会えても玄関先でちょっとだけ顔をあわせるだけだった。
大学生時代のサークル仲間たちもずっと関係は続いていたので、彼が癌で帰国した知らせを受け、見舞いに来たがっていたが、これもまたコロナのせいで、みんな見舞いには来れなかった。というよりは来なかった。万が一自分が彼にコロナを移したら最悪だから。
当時どうしようもないことだったが、結果から言うとZOOM飲み会とかはしていたが、他の友達たちは一度も帰国後の大介の顔を直接見ることができなくて、結局全員が顔を合わせたのは通夜当日だった。
彼が亡くなる1ヶ月前、俺から「ちょっと顔出しに行くわ」と連絡した際に、彼から「じゃあ吉野山の紅葉が綺麗やから見に行こう」と言われ、7Ⅲ片手に車で向かった。
今思えば、死期を悟っていたんやと思う。会ってすぐ明らかに病状が進行しているのが見てとれた。
誘われた時はほんまに吉野山に行けるんか?と思っていたので、彼の奥さんも一緒に吉野山に着いてからは最大限気を遣いながらゆっくり坂道を登っていった。
彼もこの日は愛機のFUJIFILMを持って写真を撮っていたので、坂の上にある金峯山寺蔵王堂の境内のベンチに座り、その日撮った写真を見せあった。
この時、自分はまだLightroomを使い始めたばかりで全然使い方もレタッチのイロハもわかっていなかったので、そのベンチで「教えてあげるわ。いつまた来る?」と約束をした。前述の通り、コロナ禍真っ只中だったことと約束があれば元気になるかもという希望も込めて、約1ヶ月後に設定した。
しかし彼はLightroomを教えてくれる約束の日の1週間前に亡くなった。
そこから数ヶ月経ち、色々落ち着いた時に大介の母親に呼ばれ彼の実家に行った。
「〇〇君(私)って学生時代から写真をたくさん撮ってたでしょ?その中に大ちゃんの写真ってある?」
「もちろんありますよ」
「それを全部コピーして私のHDDに入れてくれへん?家族の前での大ちゃんと友達が来た時の大ちゃんって全然違うから、全部見てみたいねん」
とのことだった。
うちに帰ってから全てのHDDから1枚残らず探し出して、全て大介のお母さんのHDDに入れてあげた。
大学1年生から2020年までで彼が写った写真の容量は全部で5.6GBだった。
この数字を見た最初の感想は「少ない」「そんなはずはない」だった。
多分数えきれないほどの思い出を作っていたから、その数字が信じられなかったんやと思う。
じゃあ1000GBあったらいいんかという話でもないが、多分その時から、1枚でもいいからその時その時の写真を撮ろうという意識は芽生えた。
ちなみにそのHDDはすぐに大介のお母さんに返したが、去年墓参りのついでに家に寄った際には、まだ一度も見れていないとのことだった。
いつも彼のことは思い出しているが、カメラの体験とリンクして思い出す機会が最近多かったのでここまで書いてみた。
俺、1回カメラやめちゃったけど今では本当に後悔してる。
でも来週SONYのカメラ買うよ。いつかそっちに行ったらまた写真見せ合いっこしよう!
